
種から芽へ、幹へ、枝へ、
そして花へ――。
これまでの歩みを紐解きながら、
未来への展望を
お伝えしていきます。
Vol.01
シードコーポレーション誕生の軌跡―――
80年の歩みと未来への挑戦

――― シードコーポレーション設立の背景をお聞かせください。

それではまず、前身である大松工業株式会社についてお話ししましょう。大松工業株式会社は1938年(昭和13年)、塗下駄を製造する種本清吉商店として創業しました。戦後、1950年(昭和25年)に株式会社大松商店に改め、1954年(昭和29年)には塗下駄の技術を応用し考案・製造した木製サンダル「パールモード」が大流行。その勢いに乗って成長を遂げ、1961年(昭和36年)には4,200坪にも及ぶ工場を静岡県藤枝市に建設し、社名も大松工業株式会社に変更しました。
そして、本題となるシードコーポレーション設立に至る背景です。1960年代以降、大松工業株式会社は海外への輸出も拡大し、一方で1980年代には海外有名ブランドと商標権使用を締結するなど事業の幅を拡げ、社内にはいわゆる“国際感覚”が浸透してきていました。
そんな折、私の目に飛び込んできたのが、あるドイツ製のサンダルでした。「この変な形状は何だ?」「こんなソール素材は見たことないぞ!?」「ぜひ日本でも紹介してみたい!」――この衝撃的な出会いに、作り手としての好奇心を鷲掴みにされたのです。私はすぐに「この製品を日本で作らせてほしい」とブランドオーナーに直談判。数年かけた交渉で製造許可は下りなかったものの、輸入代理店契約を締結することに成功し、新たな事業拡大を迎えました。
しかし、この一件以降、もはや多岐に亘る事業を一社内で束ねることに難しさを感じていました。そこで、すべての事業がより快活に動けるように組織を再編成。大松工業株式会社(現:株式会社ダイマツ)には企画・製造機能を残し、マーケティングや商社、リテール機能を株式会社シードコーポレーションとして分社化することにしたのです。1997年(平成9年)に始まり、現在のThe
SEEDグループに至る、両駆動輪の誕生です。
―――2010年代に入ると数多くの海外ブランドと販売契約を結んでいます。なぜそのような舵をとったのでしょうか? また、一般的に海外ブランドとの契約締結は一筋縄ではいかないと聞きますが、なぜそういうことができたのかお聞かせください。
先述のドイツのブランドとは、代理店契約後も粘り強く製造許可の交渉を続けていました。どうしても、日本の流行や日本人のサイズに合わせた製品の製造を諦めきれなかったのです。そして交渉開始から6年、ようやく製造許可が下りました。じつは、海外で製造が認められたのは、後にも先にも私たちが初めてのことでした。
ここに至ったのは、ブランドと私たちで築いてきた信頼関係に他ならないと思います。それまでの代理店としての真摯さや国内市場でのブランディングの実績、そしてダイマツ自身が製造する製品の品質の高さが、各ブランドの心を揺さぶったのだと自負しています。
しかし、2010年代に入り転機が訪れます。ドイツのメーカーの中で経営方針の変更があったのです。それは当然、私たちの経営をも揺さぶる出来事でした。「相手方にも事情がある。それに口をはさむことはできない。しかし、それに左右されてばかりいるようではダメなんだ」――そんな想いから、もっとたくさんのブランドと手を組む方針に舵をとったのです。
そこから、ブランド探しが始まりました。私たちの想いに沿えるものが大前提として、海外の展示会に足を運ぶだけではなく、既存ブランドのコミュニティで人脈を広げて折衝の糸口を見つけたり、社員総出で駆け回り、新たなブランドとの取り組みにつながりました。
また、中にはこんな出来事がありました。ある社員が「これ、いいと思います!」と教えてくれたのは、海外ブランドにはそれなりの見聞を持っていた私ですら初めて耳にするブランドでした。早速連絡を取ってみると、なんとたまたまデザイナーが日本を旅行中とのこと!すぐに直接話すことができ、その1ヶ月後には契約締結となったのです。
これはいくらなんでも早いケースなのですが、ここに私たちが多くの海外ブランドと繋がれた理由が凝縮されています。それは、明確な“信頼できるポイント”があるということ。その一つは、自社の直営店があるという点。二つ目は、自グループ(ダイマツ)で製造する製品の品質が高いという点。そして最後に、あのドイツのメーカーとも数十年に亘り濃密な関係を築いていたという実績です。これはかなりのアドバンテージとなっています。おかげさまで現在までに、多くのブランドと取引を重ねられてきました。
――― 今後、シードコーポレーションはどういった方向を向いていくのか、その展望をお聞かせください。

私たちの歴史は、“蓄積と変化の歴史”です。植物に例えるなら、根っこの部分は「品質と履き心地に心底こだわる」という創業時から変わらない精神です。もちろんこれは、今後も変えるつもりはありません。次に、そこから芽を出し大きな幹となる部分は、創業時からの精神である「品質と履き心地」を、時流に左右されず研鑽し続けてきた幾重にも重なる年輪です。ここまでが「蓄積の歴史」。そして、太く大きな幹から上へ上へとたくさんの枝を伸ばしてきました。シードコーポレーションとしては、製造の会社から枝分かれし、マーケティング、商社、リテールと、多様な姿を併せ持つまでになりました。時勢を読み、時流に合わせ、自らどんどん変化を重ねていく集合体、これがもう一方の「変化の歴史」です。私たちはこれからも、この「蓄積と変化」を絶えず邁進していくだけです。
それを実現していくのは、経営層だけではありません。あくまで社員一人ひとりの力です。ですから私どもは、「成長の芽を摘まない」「クリエイティブなマインドを折らない」を念頭に置き、社員が自ら発信できる組織づくりをおこなっています。手前味噌にはなりますが、先述のブランド探索の件もしかり、社員からの発言なくしては実現できておりません。そして、その件だけが特別なのではなく、同じような事例や社員主導の案件はまだまだ山ほどあります。役職や階層など関係なく、自由で、オープンで、言いたいことが言える組織だと、私たちは自負しています。
しかし一方で、世界情勢は一昔前とは比べものにならないスピードで変化しています。この変化についていけるか、いや、先読みできるかといった点では、経営層を含めた社員全般にはまだまだ物足りなさを感じているのも事実です。とくに海外を相手にしていると、痛烈にそれを感じる瞬間があります。
幸い、当社の社員は皆優秀です。そして、多種多様なキャラクターを持った者がたくさんいます。バリエーションに富んだ、非常にカラフルな――そう!レインボーカラーの集団です。しかし、まだまだその彩度が薄い。成長の芽があるのに殻を破り切れず、自分の可能性を充分に拡げられていない、私の目にはそう映ります。
ならば、当社が未来に向けておこなう最初の一手は、社員が殻を破れるようにする、その「後押し」に他なりません。2020年におこなった経営部門のThe
SEEDへの統合もその一環です。よりハイブリットな組織となることで、まだ数年足らずですが、これまで以上に強力なシナジーが生み出されています。
当社の合言葉は『Be
Global, Be
Creative』。新たなターニングポイントを迎え、私たちはまた一つ変化の歴史に一筆を加えました。きっとこれからは、大きく茂った枝の先に、今まで以上にカラフルな花が咲き誇っていくと、私はそう実感しています。これからも変化に対応し、研鑽を続けて参りますので、新たな一歩を踏み出した私たちにぜひご期待ください。